アラサー女の話

朱に交われば赤くなる

推し、燃ゆと美容について




推し、燃ゆを読んだ。

言わずもが、

今年の芥川賞作家宇佐見りんの受賞作だ。


タイトルの「推し」という言葉、21歳の作者、どんな話なのか気になり読んでみた。


話は推しが炎上したところから始まる。

推しに生かされている主人公の表現が

生々しく、希望と絶望を濃縮していた。


推し(コンテンツ)に出会い憂鬱な毎日を

何とかやりすごし、推しにエネルギーをぶつけていた気持ちを思い出した。


推しに生かされてるというのは大袈裟でなく事実だった。推しはある意味教祖のような意味合いもあるだろう。






「推し」は多様性がある。

あるときはテレビ上でしか会えないアイドルや俳優。

あるときは実在しない2次元キャラクターや過去の偉人。

あるときは学校や職場など自分のコミュニティ内にいる人。

あるときには、ペットや動物、自分の気に入っている食品やアイテムなど。


「推し」を「ファン」と言い換えることもできるが、ほんの少し堅苦しくなり、気持ちの鮮度が落ちる気がする。


性別や生没、人間じゃなくても

「推し」で通じるだろう。

男性名詞や女性名詞関係ない。


「やばい」と同じぐらい

言葉の守備範囲をカバーする。


そして、推しへの気持ちの表現方法も

人それぞれだ。


推しを恋愛対象とみる人、

推しの魅力を独占したい人(同担拒否)、

推しの魅力を共有したい人、推しの身につけたものを自分もつけたい人、推しに重課金したい人、

実際に推しに会いたい人(握手会、ライブなど)、推しとは一線を引いて関わりたい人‥


数えたらキリがない。


推しは八百万の神並にいて、

推しへの気持ちの表現はクリスマスパーティーをした後に初詣に行く日本人並みにフリーダムだ。





美容への課金額を先日計算した。

去年は60万を超えていた。

美容医療が半分以上を占めていた。

容姿が収入に直結していない。



年間の食費を軽く超えていた。

命をつなぐ食事以上にお金を使っている美容はある意味、推しなのかもしれない。



友人とコスメや美容法について

話をしたことないし、

そもそも話題にも上がらないような女だ。

コミュニティ内の人間も私がそんなに

お金を使ってるとは思ってない、

美容に関心がないと思われている、なので

話さないと解釈している。


推しのことが好きだが、狂信するあまり、生活や中身を潰されてしまいそうで怖い。


よくありがちな美容法の節約方法を見るが、

マツエクやネイルサロンやエステは通っていない。コスメを追うのも最近控えている。ありがちな節約方法は知らないうちに行っていた。


しかし年齢を重ねる毎にアンチエイジングもしたいし、美容医療にお金を使いたくなる。厄介なことにそれらはお金のかかり方が違う。


素材が分からないぐらい加工するより、素材を生かし、鮮度を保つ方が難しい。


以前、うんと年上の美容部員が「同窓会で会う綺麗な人はお金持ちと結婚した人ばかり。」とこぼしていた意味が何となく分かった。お金を使わなくても綺麗な人もいるだろうが、それは稀だろう。


ライフステージや興味関心も時代も

変わっていく。

気になったコスメを手に入れた時の感動はメイクや髪のセットが上手くいったときは筆舌に尽くし難いものがあるが、以前ほど美容に固執しなくなった。


一方でピンヒールを購入した。

独身のうちだけ、今の年代だから似合うんじゃないか、今を逃したら一生後悔しそう。と強く感じたのも事実だ。独身の今、保険や奨学金などにも目を逸らしちゃいけない気もするし、パートナー探しも必要だろう。必然的に推しを費やす時間は減る。


新たなライフステージに突入しても

推しを推せるのだろうか。

推し続けてもまともに生活できるだろうか。







推し、燃ゆの主人公は推しに出会って

歪な形だが、推しが生きる目的になった。



推しは永続性もない。





自分の心と折り合いをつけるのが一番だが、背骨がない人間は生きていけるのだろうか。