家に花を飾り始めて気づいたことがある。
桜や梅など枝を花瓶に生けるものは
茎から大きくなる花と比べて、
ぐんぐんと花瓶の水を吸うことだ。
茶色と緑、
緑の方がフレッシュさがありそうだが、
茶色の方が生命力があることに驚いた。
そして、枝から花を咲かせるものは
花弁が薄い。
茶色い枝がごくごくと水を飲み、
日の光が入れば透けてしまうような
透明感抜群の花を咲かせる。
また、たっぷりと水を飲んだ後の枝は
花が散って葉が出ても艶々としている。
枝と花のイメージが一致しない。
質実剛健とした枝は
大きな存在感を放っているのに
出てくる花は日の光に溶けそうだ。
部屋に桜を飾ってそう、強く思った。
「美しい桜の下には死体が埋まってる」
小説やドラマで見かけるお決まりの設定だ。
真偽はともかくとして‥。
私は桜の下には
多くの感情が埋まってる気がする。
桜が咲いているとついつい、足を止め、
スマホで写真を撮り嬉しくなる。
また、卒業式など桜の木の下で
思いの丈をぶつけた人には
甘酸っぱい気持ちもあるだろう。
桜の木の下だとアルコールでは
ごまかせない下心や憎しみもあるだろう。
美しい花は沢山あるが、
花見=桜を見る、春のシンボルと
老若男女が共通認識を持つのは
桜の木ぐらいだろう。
桜の下で様々な人間ドラマが
繰り広げられている。
桜の木は黙ってそこに在るだけだろうが、
人間の喜怒哀楽を
全て受け止めてる気がしてならない。
人間をやって20年以上経つが、
感情がフルにぶつかれば、疲れるし、
ぶつかった衝撃で精神的に疲弊する。
人間を辞めたくなることもある。
さまざまな感情が蠢く土壌で
桜は淡々と感情を吸収する。
時には負の感情もあるだろうが、
それでも美しい花弁へと変えてしまう。
ただ、そこに桜の木が在るだけで
気持ちが落ち着くのだ。
桜の時期はふらっと出かけて
桜の木にぶつけようのない思いを
打ち明けるのは桜が吸収するからなのだろうか。
今年も桜が咲く。
花がずっと続けばいいのに。