アラサー女の話

朱に交われば赤くなる

満開の夜桜の魔力



私は桜が好きだ。

理由はよくわからない。誰だって明確な理由を述べられない好き、というものもある。桜が好き、もそれに該当する。

厄介なことに桜は咲き始めるまでに時間がかかるのに散るのは一瞬だ。

遠慮がちに咲きはじめる桜も、異質なくらい白い満開の桜も緑と白が入り混じる葉桜も全て美しい。違う系統の色がごちゃごちゃに入り混じるのに美しく見え、全部好きだ。咲きはじめて散るまでの短い期間は用もなく近所の桜の木を見に行く。お花見スポットは人を見に行くようなもので好きじゃない。住宅街のなかにポツンとある公園や人通りの少ない道、野良猫のように独自の嗅覚で見つける。


とある日は太陽が出る前、ある日は月が爛々と輝く頃という具合に、自分の好きなペースで見る。どの時間帯の桜も好きだが、私はとりわけ夜の桜が好きだ。仕事終わりのみんなが寝静まった後、次の日仕事が休みの夜、こっそり桜を見る。冬から春に変わりつつある空気、白い桜、薄暗い照明。どれも何をやってもうまくいかない私を黙って受け入れてくれる気がする。この時期は夜に桜を見るために生きてるといっても過言ではない。ある意味、桜に生かされている。


いつものように桜を見にいくと先客がいた。


私よりもかなり年上の男性だった。

桜の魔力だろうか、3年以上同じ職場で働いてるのに、馴染めてない私だが、先客と話すのは不思議と怖くなかった。





彼はその地域の元自治会長で公園の管理人という立場だった。桜や他の植物、遊具の管理を行なっていた。そしてこの桜の木が好きで手入れも行い、桜の咲くこの時期を毎年楽しみにしていた。話や口調や桜への見る目から、彼がこの公園の桜を愛しているのが伝わった。


しかし、ここ数年は桜を見れなかった。ガンの治療をしていたそうだ。治療と退院、再発、治療、転移、治療。治療で何とか彼は生きながらえたが、食べられる食事の数や量は減り、発病前より10キロ痩せたそうだ。また、闘病中に家族も亡くした。そう話す彼は少し寂しそうだった。「大変でしたね。」と返すのが私にとって精一杯だった。


私も少しだけ身の丈やここの桜が好きなこと、桜が咲く時期は毎日のように通っていることも話した。職場では上手く会話ができないのに、言葉や語彙がすらすらと出てくる。お気に入りの場所を話したくないタチだが、話すのは全然怖くなかった。


しばらくおじいさんとお互いの辛さや不安、この桜を楽しみにしていることを話した。

あの満開の桜の木の下だからこそ、性別や世代や境遇の違っても話せて、分かり合えたのかもしれない。















その後も何十回も桜を見に行ったが彼とは一度も会えていない。


普通の格好をしていたが、実は桜の仙人だったんじゃないのか、とさえ思う。もしかしたら、病気で桜のように身を散らしたのかもしれない。


また彼に会っても顔をもう思い出せないかもしれない。でも、あの夜の出来事は忘れないだろう。


桜にまつわる、どこにでもある話だ。