ねじれの位置という言葉を
中学時代の数学の時間に知った。
垂直でも平行でもない交わらない直線だ。
もっと言うなら平行な直線は同じ平面に存在するがねじれの位置の場合、直線同士は同じ平面上に存在しないので、交わらない。
数学は苦手だったが、
この言葉は鮮明に覚えている。
家族以外の人間関係で当てはめるのであれば、
誰かと軋轢を生むほど強く反発する訳でもなければ、誰かを強く不快にさせている訳でもない。
共感することはあれど、共鳴なんて
心の深いところで分かり合えるわけではない。
平行が軋轢、垂直が共鳴だとしたら
ねじれの位置が共感だと
そんなふうに私は捉えている。
私が凝り性でオタク趣味にハマったこともあったが(現時点でもなんらかハマっている)
宗派の合ったオタクと違うオタク
それぞれいたが、どこかのカテゴリーにも
属していてもハマっていても
唯一無二と言える人はいなかった。
オタク界隈で知り合った人に
「あなたはAIみたいだね。」と言われたことがある。もう5年以上経つが今だに覚えている。
どんな意図でそう言ったのか、分からないが。
確かに私は人に対して不平等にならないように
対応を心がけている。
・近況を話す。
・友達が冠婚葬祭を迎えたら、
何かしらお金を出す。
・一緒に出かける。
・一緒にご飯に行く。
ライフステージが変わった人もいるから、
話のピントが変わった人もいるが、
どうにか合わせて、私見や感じたことを話すようにしている。わたしが言葉が鋭くなりがちなので、柔らかい言い回しになるように心がけている。
そもそも友達に、
ブチギレることも少なくなったし、
ブチギレられることも減ったが、ニコニコ笑う怒りの沸点が低い人だと思ってるのかな?人間だから不快になることもあるよ。
一緒にいる時間が長い=親しい
付き合いが長いから仲がいいわけではない。
お互いがタイプが違い、人付き合いをする上で距離が必要だと認識している。
自分は仲がいいと思ってても合わせてくれて、
成り立ってるし、私が友達だと思ってる人は単に気前のいい知り合い程度に思ってたんだね。ずっと誰かと共鳴したことないとか、
コンプレックスなのを
思い出したくないのに思い出した。
1人は好きだがずっと1人を好むわけではない。
100%分かりあうなんて無理だろうが、
一緒にいて会うってのはエネルギーがいるから
ある程度楽しみだと思ってたけど、
仕方なくで会ってるのかなと邪推してしまった。
よく、自分の素を出したら、人と分かり合えるという。
言われた通りに自分の好きなものや苦手なもの出して、肯定されても、上っ面をぺろって舐められただけだった。スプーンを入れて口に入れることはなかった。
吸うやつだって、上っ面を刺激してるから気持ちいいし、人間関係もそうなのかもしれないが。
共鳴しあうだなんて、都市伝説かもしれないね。