2023年の2月に出雲大社に行った。
出雲大社といえば縁結び。
縁結びのご利益をあやかりたいとか、
10年近く行きたかったし、
今しか行けない!と思い切って
夜行バスに乗り込んだ。
出雲大社に行った後、恋人が出来たわけでも、結婚したわけでもない。独身のまんま。
でも、明らかに人とのつながりや交友が増えた。
2023年4月ごろから
誰かと映画や食事やライブに行ったり、
お誕生会に参加してプレゼント渡したり
新しく出来た友達と旅行のお土産交換したり、
飲み屋に行って知り合いやお友達ができたり
月の交友費2000円未満、休みはほとんど1人で過ごしてる人からしたら有り得ないほど交友が増えた。
お誕生会なんて小学生ぶりで本当にこれで合ってるのかほんの少しドキドキして、プレゼント買いに行って、なんだか楽しかった。
多分コロナ禍の規制緩和とも関わるだろうが、こんな偶然に起こるのは考えにくい。
自分の語彙で話せるようになった。普段の会話を造語で話してるわけではない。
自分が知ってる語彙を状況に置いたときに空気が白んだり、冷たくなることが減った。
語彙や表現が変と言われても
発する言葉はその人自身を表すぐらい、
アイデンティティで自分が滲み出るものだ。
自分の語彙で話せないのは
生きてても死んでるような状態だとおもう。
学生の頃から自分では普通だと思っても、
思ったことや何の気なしに出てきた言葉を
口に出すと共感どころか
「独特」と言われることがあった。
共感で出した言葉が独特と言われ続けると
いい気持ちはしない。何度も何度も「独特」と言われるたびに、次第にみんなが言うように気配を消して言葉を使ったり、やがて何にも話したくなくなった。
人と関わる機会が増えると、
必然的に話す機会も増える。
いつもより、気配を消す話し方を減らし、
自分の語彙で話したら、
前ほど嫌な思いにならなかった。
人と関われば関わるほど、笑えるジョークに笑ったり、不快なこといわれても、「うわっ毒まぜすぎ!」「こわっ!鳥肌たった…。」とか素直に反応するようになった。意外なことに、ぼちぼちやりとりも続くようになった。
周りに喜怒哀楽を見せるようになったら、(前から見せてはいる)それなりにいい反応が返ってきた。人につけ込まれないように情報を与えないように、喜怒哀楽を出してなかったが、自分や喜怒哀楽を出すのは攻撃でもあり防御なのかもね。
私じゃないと出てこない語彙や
私がいうことで説得力が出る表現が
あるんだと感じることが増えた。
私の使う言葉はみんなと同じだけど、
人と関わる機会が極端に少ないから、
目につくのかもしれないね。
周りが優しくなったのか、
時代がそうさせてるのかよく分からないが、
自分の語彙で話しても引かれることが減ったし
引かれても、「つまんねー奴だな」と
あまり気に留めなくなった。
あと、不快なことも割と周囲に伝えるようになった。どう言葉を味付けして気持ちを食べさせるか、実質料理じゃん!とワクワクして言葉のチョイスを考えるようになった。
出雲大社で縁結び祈願でパートナーが見つかった人もいるだろうが、私のようにそうじゃない人もいる。
思わぬ方向で楽しく過ごせられてるから、
この世を楽しいと思う気持ちと
出雲大社の神々は縁を結ばせたのかもね。