アラサー女の話

朱に交われば赤くなる

自分が痩せてると思えるようになった。

タイトルは最近痛感したことだ。

嫌味で言ってるわけではないのは

理解していただきたい。



以前、献血に行った際に受付から、「400ml献血ですか?」と尋ねられたことがある。

私は「50キロもあるデブって言いたいんですか?」と不機嫌になり、言い返したことがある。(献血400mlがスタンダードで50キロ以上じゃないとできない)


受付は、仕事で質問しただろうが、暗にデブと言われたようで嫌だった。私の身長(158㎝)で50キロあるのは自分の感覚的にはちょっと重すぎていた。もっというと、他人が50キロ超えてるのはどうでもいいが、 自分が50キロ超えてるとしたらデブだと痛感するのだ。


ちなみに日本の成人女性の平均体重は、53.9キロで50キロは平均を下回ってる。別に50キロがデブな値でもない。受付も私にデブだと言いたくて尋ねたわけではないのは分かったが不快になった。







成長の過程で痩せ、大人になって

周囲に「細いね」と言われることが増えた。



周囲の人は、デブなことを遠回しな皮肉で

洋服屋や下着屋の店員は、売り上げのために

婚活で知り合う男性は、印象を上げるために

お世辞で言っていると思っていた。


脚や顔はムチムチと丸く、毎日見る身としてどうみてもスリムではない。

BMI18ぐらい。細くはない。

また、思春期は今よりも10キロ以上太っていたため、デブや豚、象と呼ばれることが多く、正直痩せてると言われるのに違和感しかなかった。


名前を覚えられない客から「あの、しゅっとした人」と私を指していたことや、「この隙間に入れるのは細いからだよ」と複数回言われることもあり、お世辞で言ってるわけではないと気づいた。




痩せている方が美しい、という考え方がある。太ってた身として、痩せてからの方がおしゃれや服など選択肢が広がった。

鎖骨が見えるようになり、鎖骨周辺が見えるニットも好きになった。股擦れも起きないので、ズボンやタイツも安心して履ける。今の体型は概ね気に入ってるし、この考え方は好きだ。


先日パーソナルトレーニングを始めたが、

体重を測ったり体の組成を機械で測り、

どんなボディを目標にしているかをトレーナーと話した。

私は当たり前のように「デブだから、痩せたいです。でも筋肉は欲しいです。」と話したらトレーナーから「十分痩せてるので、これ以上痩せる必要はないし、筋肉をつけるためにはちょっと太らないといけない。」と言われた。


ジムで太る方がいいと言われたことに驚いた。そして、無意識のうちに自分はデブ、デブと周りに言わないといけない、と囚われていたのかもしれないと気づいた。




太ってたとき周囲から「デブ!豚!」と言われ、親から「太ってて動きが鈍い」と言われたこともあったため自分は「デブ」とずっと思っていた。「デブだからフラペチーノなんて太る飲み物は飲まない」「デブだから黒い服を着ないといけない」「デブだから20時すぎたらお酒も飲まない。(大嫌いな職場の飲み会は絶対飲まない)」と考えて行動している。


また、実家に久しぶりに帰省した際、20時すぎてにお酒やつまみにものを食べてるのを見て「こんな時間に食べてデブになりたいの?それとも私を、デブにしたいの?」と親に言い、悲しませたことがある。


自分が太ることは嫌いであるが、痩せることに囚われ、他人にも考えを押し付けていたことに気づいた。


潤滑油と言葉からも、油は物事を円滑に進めるためには必要だ。茹ですぎたパサパサのササミよりも豚の角煮に惹かれるものだ。

そして、ある程度の潤いや余裕が人間性や人生を豊かにするのだろう。脂も悪者ではないのだ。




太ってない(痩せてる)と認め、

現実を受け入れないとボディメイクやファッションも良いものができないだろう。


過去と今は違う。

少しずつでも変われたことを認め

受け入れていかないと、現状についていけないんじゃないかと思った。