アラサー女の話

朱に交われば赤くなる

まぁ色々あるけど、行く先は薔薇色





こんばんは。

久しぶりの更新です。

いつもブログを読んでくれてありがとうございます。







私は整形をした。

二重の埋没法・瞼の脂肪取り だ。



整形について調べていたら、

思ったよりも経験者の意見が集まったし、

大学や職場の人も経験者だということも

わかった。


ポピュラーとまではいかないが、

100人に1人ぐらいの割合で

いるんだろうと思う。

黙ってるだけでしたことがある人は

多いだろう。

(あくまでも体感)




整形をした日の夜、親と電話をした。

元々整形をしたいことや、カウンセリングを受けたこと、整形にかかる費用、受ける日にちなど赤裸々に全て話していた。術直後の写真も送った。


母親の電話越しの声は涙まじりだった。


自分の子どもが健康な顔に傷をつける、

子どもが顔のコンプレックスを解消する、

子ども自身が決めたことだとしても

悲しかったそうだ。


以前母から「もし、娘ができて、

その子が一重まぶたに悩んでたら整形を勧める?」と聞かれた際「子どもと一緒に情報を集めて納得できる答えを見つける。整形したいなら、きつくないようにお金も時間も集める」と答えた。そのときの母は頷いていた。

なので正直泣くなんて思ってなかった。


私は自分の顔がコンプレックスだ。

特に一重瞼は大嫌いだ。親や弟はぱっちりとした二重で睫毛も長い。私は厚ぼったく睫毛も短く、犯罪者のような目。幼い頃から家族の顔を見て自分の顔を見比べては悲しくなった。


思春期に入ると私の容姿を犯罪者、デブ、ブスと揶揄する人もたくさん現れた。


揶揄を消化できるほど心も強くなければ、

顔以外の他の部分も好きではなかった。

田舎の小さな学校の小さなクラスでは

人間関係の変化もなかった。(私が住んでたところはクラスメイトの名前や家の場所ももちろん、兄弟の進学先や就職先、親の職業や勤務先も知ってる)


揶揄される度に「どうして私を二重に産まなかったの?なんで一重に産んだの?なんでブスに産んだの?」やり場のない激しい感情を両親にぶつけた。彼らはただただ、話を聞いた。そして私を責めることも泣くこともなかった。


化粧を始めるようになった頃、ざわちんメイクが流行り始めた。ざわちんメイクや変身メイクをネットで検索したり、ギャル雑誌の濃い目のメイクを見て雑誌に載ってるコスメを買い、必死にアイプチを瞼に塗ったりダブルラインや切開ラインを引くようになった。






嫌いな一重まぶたを消すために。



コンプレックスを抱くようになって10年以上経って整形したいことを打ち明けた。



ダウンタイム中に何をしているのか、

体はきつくないか聞いた。

私が作り置きしていたおかずや整形後のモチベーションとして買ったいちごをぱくぱく食べていることを知って母の声のトーンは明るくなった。


最後に母は「綺麗になって幸せになるのよ。自分の顔が嫌って言わないでね。」と言った。

そのとき初めて私も顔が嫌いで辛かったが、親も辛かったのだと痛感した。それと同時に親に愛されてるのだと感じた。



二重瞼にしたぐらいで美人になれる程、

顔のパーツは整ってない。

ダウンタイム中の今の顔は

ガチャピンのような目で

内出血の痣が誰かに殴られたようで醜い。

正直、外も出歩きたくない。


内出血や腫れがなくなった後の、

自分の顔は楽しみでほんの少し怖い。

オタク気質な私が整形依存しないかも少しだけ不安だ。今より老けたときに整形をした自分の顔を受け入れられるかも整形という事実が付き纏うことを受け入れられるかは分からない。









親が悲しむ顔は見たくない。

自分が思ってるよりも

親は私のことを愛している。

皮肉にも整形で痛感した。



自分が思う綺麗に近付きたい。

顔だけでなく体も。

自分が思った以上に私は

綺麗になりたいのだと思う。

今まで自分が嫌いだった分、

好きになりたい。


女という性を楽しみたい。





早くダウンタイムが過ぎて

ミントグリーンの洋服を着たい。

マスクをつけてても可愛い目元で。