アラサー女の話

朱に交われば赤くなる

ミステリアス

 

 

私は多分陰キャと呼ばれる部類の人間だ。

しかも周りが茶化せないレベルの陰キャだ。

生活の3分の1を過ごす布団は

ジメジメしてるのが苦手で

しょっちゅう洗濯や乾かすのに

その当人は陰気くさいだなんて

なんと皮肉が効いてることか。

 

ここ最近人と会ったり、

元々交友がある人と一緒にご飯に行ったり

映画や花見やカラオケをしたりお酒を飲むようになった。

 

 

最近会ってる人はほぼ全員タイプの違う人間だ。違うタイプの人と会う時は当たり前だが、

文化が違う。ちょっとした買い物でもアクセサリーをつけるコミュニティ、ビールやしょっぱいものが大好きな人たち、ラフな服装が好きな人たち、お酒を飲みながら読書したい人、文化というには細かすぎるかもしれないが、クセというかその人のルーティンみたいなものがあり、タイプが別だ。

 

価値観どころか服や食の好みすら違う。

カシスウーロンを頼む人も、

スカートを着てる人も居ないだなんて。と

ほんの少し毒づく。

 

そんな別の文化の人たちと過ごして思うのが、本音は二次会や帰り道や帰りの車の中での会話で出てくることが多い。たいして仲が良くないなら、話題も無難なものや人の噂話など踏み込んだことは話さないだろう。徐々に会話のスピードや間合いや地雷を見つけていく。

心が溶けている帰りに本音を言うのかもしれない。そして、そういうことを言う時の人の表情は最初よりも硬さが消えてる。家族関係や恋愛状況、経済的なことなど、嘘の割合が少ない本音の話が聞ける。あと、その人が選ぶ語彙から、よそよそしさが消えていく気もする。真相は別として本心が聴けてる気がするのだ。

 

空間に心も体もとけてると、コミュニティを知らなくても楽しめるんだと感じた。

 

 

今まで飲み会の2次会はできることなら行きたくないし、欠席できるようになっては欠席していた。自分の浮き具合をひたすらに感じ、惨めになるからだ。お金を払ってまで痛感したくない。しかし2次会など時間が経たないと話せない話をするために2次会に行くのかな、と思った。

 

 

この数週間で私は人に踏み込まれること、人に踏み込むことが思ってる以上に苦手で、

それは周りの人にも察されてて誰も踏み込まないんだな、と実感した。確かに人に踏み込まれるのが苦手だから特定されることはなるべく控えてる。職場の人が私を「ミステリアスな女」と言ってた。聞いた時はいや、そうじゃないし。と返した。休みの日の過ごし方も足のつかない答えで、携帯の待受も初期設定だから仕方ないだろうけど。

単に私についての情報が少なすぎるし、詮索されそうになったら私がはぐらかすのもある。

 

 

誰かと関係を深めるって、自分次第だし、

覚悟がいるのかと思ってたけど、ちょっと一緒にパフェ食べるとか、プレゼント探しに一緒に行くとかそんなんでも関係を踏み込むことになるんだね。ちょっとしたことの積み重ねや時間の使い方だろうね。

 

あと、その人との時間がうまく溶けると心も溶けるのか笑顔が自然に出てくるものだと知った。男女問わず。自分がどんな顔してるかは知らないけど、その人も機嫌良さそうにしてるから、きっと悪い顔はしてないんだろうね。

あと、語彙や会話のスピードもよそゆき感がぽろぽろと落ちてくる。自分がそうなると相手も合わせてくるのがなんだか面白い。

 

 

 

人間関係は「会うべきときに知り合ったから

知り合いになったし、会う場所が間違ったら

関わりはなかっただろう。」という考えが

根底にある。

でも、「会うべき時に会ったことを知らないで過ぎ去ってる人たちもいるのかな。」のかもね。単に知り合う場所がなくて過ぎ去ってる人もいるのかもしれないね。

 

 

 

人と関われば関わるほど、自分がその場に馴染めてないこととか、場違いなことに暗に気付かされるし、1人での帰り道にほっとする。でも、誰かさんと一緒に夜にパフェ食べた時の気持ちとか、顔の動きは1人でいるときには気づけないものだし、ああ、こんな感情あったな、とか心の奥がほんのりと温かくなる。

 

心のどこかでは誰かと繋がりを持ちたいのかもね。

 

自分ですら自分のことはミステリアス。