アラサー女の話

朱に交われば赤くなる

いわば、御神木。

春は別れと出会いの季節だ。

家の近くに大きな桜の木がある。

住み始めて随分後に気づいたが、

今じゃ春が近づくとまだ咲いてないか、

まだ咲かないかとソワソワする。

 

心のよりどころ、は言いすぎだけど、キツい仕事でも、仕事が遅く終わっても、嫌な人に嫌なことを言われても「あの桜を見るから今日は頑張る」と思えてる。御神木のような存在だ。

 

ここ最近、一気に桜も咲いてきたので桜を見に来ている。朝見ても夜見てもいつ見ても本当に美しいし、どんと構えているのが嬉しい。誰もが寝静まる夜中だと美しい桜を独り占めできる。

桜を見ながら「今年も咲いて綺麗だね」とか

「今日はこんなことがあった」とたわいもないこと、不安なこと、嬉しかったことを桜につぶやくように伝える。

桜は黙ってそこに居てくれる。まずいことを言ってないよね、とか不安にならなくてもいい。

「すみません」が頻出ワードの私の心が花びらのようにぱらぱらとほどける。素直に感情が言葉がでてくる。

 

最近仕事で嫌なことや環境が変わるし、

自分ではどうしようもないことが起きた。

友達に話した時に「転職は今だよ」と

言われたことを思い返す。

そのときは「転職」と踏み切れなかった。

 

しかし、気持ちを桜につたえたときに、

自分がどれだけ傷ついていたのか、

不安だったのかがわかってしまった。

そして、区切りをつけて別のことをやりたいと思った。

 

「転職します」といって法律通りに辞められる職場ではないし、一筋縄にはいかないだろう。来年の今は別の仕事に就いてる想像をする。思ったよりもイメージできた。

 

「ああ、この桜の木を見るのも今年で最後かもしれないな。」予感めいたものがあった。この桜の木を見に行けないぐらい遠くに住んでも私はどうにかやっていける。そんな風に感じた。