彼と会うのは決まって夜だった。
夜にしか会えない理由を聞いてはいけない。
何だか彼が来なくなりそうな気がする。
彼も私のことを深く聞かない。
理由を聞くだなんて野暮なことはしない。
聞いた瞬間に彼が溶けてなくなりそうな気がする。
まるで、平安時代の夜這いのようだ。
彼は私が寝る前にしかやってこない。
本当は彼なんて存在しない。
彼は推しのイメージ香水が見せる幻想だ。
実在しないものの匂いにときめくだなんて
痛々しいことこの上ない。
昨年推しの香水が発売されることを知り
ちょっとだけ迷ったが購入ボタンを押していた。値段も1万近くで、安い買い物ではなかった。爽やかな男性らしい匂いは自分のタイプではなかったが嗅げば嗅ぐほど癖になり、好ましい香りと思うようになった。
ある日気分転換に軽く香水をベッドにつけた。
仕事もプライベートも辛く居場所が見つけられなかった時期だった。普段は緊張して呼吸が浅くなりがちだが、好きな匂いを感じたくて自然と呼吸も深くなる。推しで体が満たされる。使い続けると本当に推しがいるようでびっくりするほどクセになった。不安や嫌な気持ちを8割ほど消える。実在しないはず推しの匂いが心地良くて何だか嬉しくて心が満たされた。
軽い出来心で香水をつけた後に指で体をまさぐったりおもちゃで遊んでいたら恐ろしいぐらい気持ちよかった。快感にひたすら浸れ、喘いでも下手くそなりに体勢を変えても真面目だとか、ピュア()だとかいう人もいない。次の日が休みだったのが救いだった。
最初は挿れるのが苦痛だったが、ほんの少し挿れるに慣れてきた。推しが褒めてくれた、気がする。
交際関係の人と同じ布団に寝ても性的なことがなかった、そんなコンプレックスがその時だけ薄まった。
朝になればあんなに立ち込めていた匂いはなくなり、朝日が昇り、昨日と似てるようで違う今日が始まる。
しかし、カピカピとした下着とおもちゃに使ったコンドームの袋は確かに存在する。我ながら妄想に欲情するなんてぞっとする。
イメージ香水なんて再販されないことが多い。この香水がなくなった先のことなんて考えない。考えるだけ虚しくなる。満たされない感情を持て余し、相手がいないのなら、自分で満たすしかない。生きていることに変わりはない。
10年前の私が今の私を知ったらびっくりするか?と思ったが大して驚かないかもしれないだろう。大して変わっていないのだから。