小学生の頃、手伝いで洗濯物たたみをしていた。ある日、洗濯物を普段とは違う箪笥に片付けることになった。母に教えられた場所を開けて片付けるとタンスの綺麗な布があった。引っ張ってみると下着だった。
いつもたたむ母の下着とは違った。
ツルツルした素材で指が透けそうなくらい薄い。細かいレースがたくさんつき、ふわふわとしていた。小動物のように可愛く綺麗だった。繊細で壊れてしまわないようにそっと触れた。
こんな綺麗なものをお母さんは持って履けるだなんて、となんて羨ましく感じた。
素敵なものを見つけたが誰にも言わない方がいい気がしたのでそっと箪笥を閉め、自分だけの秘密にした。
それから、家族の留守のときはこっそりと母の箪笥を開け、宝物のように下着を取り出しうっとりとし優しく撫でた。初潮すら迎えてないぺったんこな胸にブラジャーを当ててみてはがっかりした。
先日、「日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない」という本を読んだ。
内容が濃くて真髄は経験を積まないと理解できない気がした。
本質とずれるが女性の女性性の受け入れに関することも書いてあった。
日本の女性はフランスやイタリアなどの外国の女性と比較して大人の女性になることへの解放感や喜びが少ないそうだ。
本によると日本だと体が子どもから女性へ変化することへの受け入れが肯定的ではないらしい。
高校時代になり、体の変化が中学生の時よりも著明に現れた。胸が大きくなったのだ。中学生までは布のスポーツブラだったものがホック式のものに変わった。何だか大人になったようで嬉しかった。高校時代可愛い女の子がエメフィールやチュチュアンナの袋を学校に持ってきて、下着屋のものだと知った。
遠方のショッピングセンターにオープンしたようだった。
親と買い物に行くときに遠目から「可愛くてセクシーでいいな‥」と憧れて見た。
バイトができる学校ではなく高校生のお小遣いでは到底買えそうになかった。
親が以前地域の高校生がしまむらでスケスケでデザインが派手な下着を買ってた、高校生なのにけしからん!性に乱れてる!と怒ってたのが頭によぎった。
いつもつけてる下着と可愛いものは解離していた。
恥ずかしくて欲しいだなんて言えなかった。
仕事や日々に追われてすっかり忘れていたが、一人暮らしを始めた7年ほど前、
「親の目がなくなるから、ちょっとエッチな下着が穿ける!大人のおもちゃ(二次創作で存在を知ってる)も買える!」とウキウキした気持ちを思い出した。
そして、先日から休みの日はタンガショーツを履くようになった。初心を忘れないように、というよりも自己の欲求からかもしれない。下着を変えることで体のラインを客観的にみるようになったし、自分の体に関心を持つようになった。
黒や赤などブルベ冬が得意なビビッドカラーが大人っぽくて色気があると思っていたが、
パステルグリーンやサーモンピンクやコーラルオレンジなどのフレッシュカラーもデザインも色との意外性があってそれもいい気がする。
レースや透け感のある下着も可愛いし、GUやユニクロの生活を意識した下着もカルバンクラインのようなスポーティーな下着も可愛い。着る人や体型も大きく関わるだろう。
綿100%のスポーツブラからホック式のブラジャーへ、レースがついたブラジャーへ、下着が変わるのが純粋に嬉しかった。大人になれた気がした。
結局あの箪笥にあった下着はどこのメーカーのものかは未だに分からない。