アラサー女の話

朱に交われば赤くなる

ばあちゃんが作るおにぎりは最高にうまい


こんばんは。

いつもブログを読んでくれて

ありがとうございます。





とある検定の勉強をしてる中で

ある言葉に出会った。


インナーチャイルド、だ。


この言葉はアダルトチルドレンや発達・精神疾患に関連する書籍で記載されることが多いがここでは子供の頃の思い出・経験ということにする。







私のばあちゃんは本を読んだり日記を書く人だった。


なんせ15年以上前に他界したので、ぼんやりとしか記憶にないし、正直顔もうっすらとしか思い出せない。しかし優しいツバキ油の匂いは鮮明に覚えている。


ばあちゃんの家は海が近かった。

周りは海と潮の匂いと少しの住宅に囲まれた寂れた場所だった。

弟がまだオムツをつけていた頃、

「お母さんを取られた!」と拗ねぐずついていた私を宥めるため、

父と2人でばあちゃんの家によく遊びに行った。




その土地の子どもと遊んだ記憶はない。近所に小さな公園があったが、私以外遊んでる人はいなかった。テレビも演歌か相撲かニュースばっかり。コンビニなんてない。スーパーもかなり遠くにあり、子どもの私にとってかなり退屈だった。


ばあちゃんちに行くのは好きではなかった。


父は私を置いて家に帰ることも多かった。見えるのは海。海に逃げ場もなくなんだか怖くて、わんわん泣いていた。





あるときおばあちゃんの家を探検していたら分厚い本に出会った。

それにはたくさんの動物がいた。図鑑だ。動物はカラフルで見たことがないものがたくさんいた。




見たことがないごちゃごちゃした文字がたくさんある本の内容は理解できなかった。しかし、たくさんの不思議な絵が文字が読めない私を知らない世界に連れて行ってくれた。好奇心とほんの少しの恐怖で本のページをめくった。

本の内容がわからなくてばあちゃんに言葉の意味を聞き、時には文字を教わった。




分からないことを聞くたびにばあちゃんは笑顔で教えてくれた。



ばあちゃんの家には図鑑だけではなく、世界の神話や昔話の本もたくさんあった。図鑑に飽きた私は、神話や昔話を読むようになった。ギリシア神話や聖書やヤマタノオロチにもその時出会った。世界にはいろんなものがいるんだな、と感心さえした。



本の内容を拙い言葉で伝えると

ばあちゃんは喜んだ。

「これで1つ賢くなったね。」幼い私は、ばあちゃんのその顔がまた見たくて本の世界に没頭した。

読める文字が増えるとますます本を読むようになった。



ばあちゃんは毎日ノートに日記をつけてた。見せてくれたが達筆すぎて『ふにゃふにゃがたくさんいるな〜』という感想しかなかった。


ふにゃふにゃが行書体ということを知るのは随分先のことだが。



文字が読めるようになっても海は苦手であったが、ばあちゃんちに行くのは怖くなくなった。自分とばあちゃんしか知らない本に出会えるのは楽しかったし、秘密の場所を誰にも教えたくなかった。
















そんなばあちゃんはこの世を去って15年以上経った。

この15年で私は子どもが産める体になり、仕事をし、一人暮らしをするようになった。分厚い本は何度か探したが見つからず、親に聞いたが、知らないという。本当に存在したかさえ疑ってしまう。





自分の容姿に折り合いをつけるのは大人になった今でも難しい。ブスな顔は嫌だ。



しかし、勉強は新しい世界を知るもの、読書は別の世界を見れるもの、そんな風に子どもの私に教えてくれたのは、紛れもなくばあちゃんとのひと時だった。受験勉強でしかベクトルや微積は使わなかったが、勉強、自主的に学ぶことは死ぬまで必要だろう。




大人になった今、ばあちゃんのギフトはとても素敵なものだったと痛感する。






お盆は過ぎ去ってしまったが、

台風がひどくてまだばあちゃんは

この世にいるかもしれない。


ばあちゃんがあの世に帰る前に

文章にした。



ばあちゃんのおにぎり、また食べたいな。