こんばんは。
いつもブログを読んでくれて
ありがとうございます。
ZOZOTOWNの前澤社長がお年玉1億円プレゼントをした。株価は爆上がりし180億円もの収益があったようだ。
彼はお金への考え方は独特だ。
お金をめちゃ使う→とんでもないものやコトを経験できる→自分の成長の大きな糧になる→気づいたら成長している→前よりも稼ぐようになる→さらにめちゃ使う→成長する、みたいなことを言っていた。
使えば使うほど自分を成長させる。成長のためにお金を使い成長した分またお金がやってくる、そんな考え方だった。
めちゃ金使ってしっかり成長できるら人はごく一部だ。一般ピーポーの私が前澤社長の真似をしても自己破産しそうだな、そんなことを考えた。
数年前参加した婚活パーティーで
とある男性に知り合った。食事代を払ってくれたり、何度かプレゼントをくれた。
私に対してお金を使う男性だった。しかし、彼は会話の中で「コスパ」「費用対効果」という言葉をよく使っていた。
「ご飯は休みの日にまとめて炊くよ。そっちの方がコスパがいいからね。」
「ここのジムは費用対効果が悪いよ。営業時間が短いもん。」
「若いうちに保険入った方がコスパいいよ。俺も仕事始めてすぐ入ったよ。」
「野菜はコスパが悪いから食べない。」
ちょっと引っかかる部分もあったがしっかり節約している人なんだと感じた。
少し時間が経って以前付き合っていた人の話になった。「前付き合ってた女性はプライドが高くて1500円以上のランチしか食べない人だった。お金かかるし、ほんと会うのが嫌だった。それに比べて君は800円のランチでも回転寿司に行っても怒らない。財布に優しい。本当に助かるよ。」
前の彼女より費用対効果が高いから私といるんだな。金に余裕がないなら全額出さなくていいのに。シンプルにガン萎えした。
その後、色々あってやり取りをやめた。男は私に渡したプレゼントを返すように言った。
私は彼の思うコスパのいい女でも費用対効果が高い女でもなかった。
私もケチな部類だ。興味がないことには一切使わない。彼がいうコスパも分かる。お金は有限で、ないと生活できない。しかし、人間にコスパを当てはめるのはどうなのか。恋愛感情が永久凍土な私でも不快な気持ちになった。
見え透いた打算でお金を使われるのが嫌だった。ご飯を奢れ、プレゼントが欲しいだなんて一言も言ってない。彼の任意の上で使っていたお金のはずだった。使うなら後悔しない範囲で使って欲しかった。
女が金目的で付き合うかどうかを試すために初回のデートで吉野家に行こうとする人がいる。
吉野家の牛丼は美味しい。
しかし相手のことを知るためにゆっくり話せる場所ではない。吉野家はジャージすっぴんの女を受け入れる懐の広い店だが、メイクやおしゃれを頑張ったときに行きたい店ではない。Twitterで有名なりすぎた方法ゆえに「この人は私にカマをかけてるな。」そう考えてしまう。
人間にコスパを当てはめるのはよくない。連絡をする、誰かに会う、その行為自体がコスパが悪い。携帯代や電気代、自分の時間を減らす。もっと言うと生命維持に必要な食事代、場所代、洋服代など、そもそも生きている事自体コスパが悪い。そう行き着いてしまう。
消費税が10%に上がる、給料は変わらない。前澤社長のようにお金を稼げなければ使うこともできない。これが現実だ。
削る部分は削る、使うときは使う。
無駄なものや衝動買いをしない。
家族や大切な人のお祝いや
誰かの訃報やお見舞いはきちんと渡す。
金の切れ目は縁の切れ目だ。
家族や大切な友人の縁が切れることほどコスパが悪いことはない。
働いたお金がお菓子、お菓子が脂肪に変わる。冬太り気味の私はお菓子にかけるお金を減らした方がいいね。