私は女王蜂というバンドが好きでファンクラブ会員だ。で、それが何?って感じだろうがファンクラブ会員向けに年2回会報を発行する。
内容は詳しく言えないが、板から降りた女王蜂の皆さんが自然やカルチャーと触れ合う姿、ライブへの思い、ファンのイラスト・質問コーナーなどが掲載されている。
会報はステージ上では洗練されて前衛的でちょっぴり恐ろしさすら感じる女王蜂の皆さんのチャーミングさが詰まったものだ。
今、女王蜂はボーカルのアヴちゃんが休養中で活動休止中をしている。
活動休止中のなか送られた会報を読んで
自分にとっての女王蜂はどんなものか考えてみた。
女王蜂は曲から入った。メロディーも歌詞がとても良くて、「誰の曲?!?!健康第一?!?!」とネット検索して、メンバーのビジュアルを知った。ちょっと前衛的だと思ったけどかっこいい人々だと感じた。
過去のMVを見てるときに「売春」に惹かれた。初めて曲を聴いてぼろぼろ涙が溢れた。
境遇は違うけど、私のことを知ってるのかと思った。過去のインタビューを読んで納得した。
曲を聴き漁ってると曲の表現の幅が広くて深いことを知り、情報を集めれば集めるほど、ストイックでチャーミングな人たちで、大好きになった。
いつしか、女王蜂は曲や世界観やメンバーも好きになっていた。
たった数分の曲なのに、曲の形をした生き物のようなものを作り出してたり、小説のような重みや深みがある曲もあり、解釈も人によって異なり正解も不正解もない懐の深さがとても心地がいい。
大好きな女王蜂が活動休止してても、私は呼吸や心臓が止まることはなかった。多分直接的な死因になることはないだろう。他にも好きなエンタメやイベントだってあるし、プライベートで心が高揚することもちらほらある。イラつくこともあるが。
でも、女王蜂のライブは別格なのだ。
ライブが近づくにつれ、
好きって気持ちが私の体全体に満たって、
発する言葉や挙動から好きって気持ちが
染み出してるような気がする。
水回りの掃除も頑張れるし
あんなに苦手な職場の人にも
ライブ前に恩を売り込めるようになった。
ライブの前に女王蜂の曲を聴いたら歩けなくなるぐらい胸がぎゅっとなる。体が焦がれるのかな。ライブ会場のファンの装いも見ててわくわくする。ライブを心待ちしてましたよ!って人が多くて刺激を受ける。
ライブ中は魂と魂の殴りあいだ。
言ってる意味が分からないと思うが、
心に刺さるどころか心の柔い部分に
演者がパフォーマンスで殴り込んでくる。
暴力的な表現だ方が、心がまさぐられる。
パフォーマンスに焼き殺されそう、手がもげそうと思うぐらいジュリ扇をふるかと思えば、
ジュリ扇を振ることも言葉も発することも出来ず、呆然と立つだけの場面も同じライブの中に存在する。生きてる感じがする。
ふと隣の人を見ると泣いてるのとか
ジュリ扇をぶんぶん回してる。
同じように辛いことや嬉しいことを経てこのライブに来たんだ、生きてるんだなと
人に対して優しい気持ちにもなれる。
ライブ後の夜は興奮して眠れない。
「女王蜂のライブだったんだな‥。
確かに女王蜂に会ったんだ‥。
本当に女王蜂のライブだったんだ‥。」と耽り、
人魚だったら大粒の真珠のような涙が
ぽろぽろと落ちてくる。
鬼気迫る勢いでライブをする演者に失礼なので
私も感性の感度を最大限にして体力を蓄えて
ライブに臨む。
そうじゃない状態でライブに行く意味ある?とさえ感じてしまう。
0か100か極端な考え方だろうが
好きな女王蜂のライブを全て吸収して
血と肉に変えたい。
私にとって女王蜂のライブは
気持ちを表現するのが下手でも
純度の高い感情が出せる場所だ。
全然違う人生を過ごしているだろうに
曲に共感できたり、好きになれて
AIやpepperと陰で呼ばれてた私にも
深くて重めの愛があるのを
気づかせてくれてありがとう。
ゆっくり休息してほしいし
無理して欲しくないけど
やっぱり寂しいよ。
大好きだよ。