私は女王蜂というバンドが大好きだ。
2024年女王蜂は結成15周年を迎えた。
女王蜂は過去に無期限活動休止となった。
今から10年以上前だ。
(今活動休止中だが、それとはまた別)
無期限休止前に行われたライブが
白兵戦というものだった。
過去を遡れる今だから、「無期限休止前に行われたライブ」と表現できるが、その当時は無期限休止のままずっと休止するかもしれない、活動再開できないかもしれないとファンもメンバーも感じていたそうだ。
白兵戦のライブ円盤は
今ほど有名でなかったのもありほぼ流通してない。フリマアプリやオークションにたまに流れるが定価の数十倍に価格も釣り上がっている。
いわば幻のライブ円盤である。
様々な縁が重なり、活動休止から女王蜂を推してた友達とともに白兵戦をみるチャンスを得た。
友達から「見る勇気がなかなか出ないのでよかったです。」と言われた。想像していたが、どうやらヘビーな内容そうだ。そりゃライブに行ったファンは解散ライブだ、もうこれから生で女王蜂を聴けないと覚悟してた人もいたよね。
友達が気分があがるようにジュリ扇を用意してくれたし、ハンカチは持ってきたので大丈夫と言い聞かせて白兵戦に気持ちを整え、液晶を見る。
セトリは以下。
1.夜曲
2.鏡
3.イミテヰション
4.デスコ
5.八十年代
6.ストロベリヰ
7.待つ女
8.鬼百合
9.人魚姫
10.火の鳥
11.バブル
12.告げ口
13.Ψ
14.無題
15.コスモ
16.鉄壁
アンコール
17 .溺れて
18 .棘の海
画面越しに緊張感が漂う。
楽しさやストレス発散でライブ映像をみるが、
これは違うやつや。
このライブが私に緊張感を持たせるんだ。
白いシャツに下着?で際どくて
目のやり場に困るメンバーの衣装。
今よりも荒削りで
振り絞るように歌い演奏する女王蜂‥。
今もライブ中に披露される曲も多いけど
曲の雰囲気が全然ちがう。
映画モテキの曲で脚光を浴びたデスコや
ジュリ扇を振れるような曲や
バブリーサウンドで客煽りもあったが、カラ元気のようでジュリ扇をぶんぶん振り回す気持ちになれなかった。
告げ口や無題周辺から
目の前が滲んでみえる。
鼻水がでてくる、ああ、涙がでてるんだ。
いじめや中絶など重いテーマも相まって
寂しさや悔しさや女王蜂の覚悟を
強く感じてただただ嗚咽をあげるしかなかった。友達たちもティッシュやハンカチで目元を押さえていた。
泣きすぎていつの間にかライブ映像が終わった。また振り返って見たい気持ちにはなれなかった。
過去の出来事と知っててライブ映像を見ても
ヘビーすぎたので、当時白兵戦に参戦したファンは立ち直れなかったかもしれない。
女王蜂は10代の暴走で結成されたとどこかの記事でみたこと、アヴちゃんは読書家で三島由紀夫の小説を読むとYouTube公式ラジオで話してて、とても納得した覚えがある。
ここからは1ファンの妄想に近い抽象的な推測だ。合わない人もいるかもしれない。
女王蜂のメンバーや楽曲はマグマだまりのような激しい感情や衝動が源流にあると感じる。
激しさがサウンドや歌詞やときにはビジュアルや衣装に表れてるし、そうじゃなくても曲自身の核にあるだろう。
マグマだまりの火山噴火!のような曲や水を加え温泉のようにリラックスできるような曲、火山の起伏に富んだ美しい風景のような曲、火山噴火や火砕流で人生を狂わせてしまうような曲‥。
マグマだまりの出力表現や量が違うだけで根っこは同じと考える。ただ曲の受け取り手の感想が異なるだけだ。
三島由紀夫の小説はノーベル賞候補に挙がったように偉大だが、本屋や図書館でも目立つところに置いてるわけでもない、現代文の授業でも潮騒は教師の采配で扱ってた気がする。その辺はよく知らない。どのようにアヴちゃんが三島由紀夫の小説に辿り着いたかは分からない。エネルギッシュなものに惹かれたのかもしれない。多感な時期のフラストレーションを本を読むことで昇華させたのかもしれない。
マグマだまりは恩恵を与えるが加減によっては周囲や自分を傷つける。白兵戦のライブの頃はマイナスの方面に傾いてたんだろうね。
アヴちゃんのことを知れば知るほど、
芸事の世界に水があってる人だと感じた。
YouTube女王蜂公式のラジオで
向井理氏や満島ひかり氏の回でお芝居の話してるとき嬉しそうなの滲み出てたもん。
先日伝統的な職人と話す機会があった。
会話のなかで「あなたはきちんとした生活が送れる真面目な人ですよね。」と言われた。
私にとっ
て「真面目」と言う言葉は世間でいう容姿に関するタブーワード「ブス」並に苛立つ言葉だ。そして、部屋が散らかってるし、メイク落とさずに寝落ちする私は「きちんとした生活」から程遠い。大人なので苛立ちを抑えて話を聞くと「きちんとした生活」というのは朝起きてニュースを見ながら身支度して朝食を食べて、出勤して、仕事して、家に帰って、ご飯食べて寝る。という社会人にありがちな生活サイクルを過ごせるという意味だった。
話を聞き進めると、過去に会社勤めをしたことがあったが、どうしてもその生活サイクルを心と体が受けつけなかったそうだ。一念発起して、職人の道を選んだそうだ。
職人といえば後継者不足や理不尽なしごき・師匠の高圧的な態度やマニュアル化されてない指導内容、感覚や勘など抽象的なものを頼りに仕事を進めるなど私なら到底近づこうと思えないカルチャーだ。
でもその人は職人の水があっていたのか勤め人をしていた時よりも心に余裕ができたと笑顔で話していた。
住む世界いや、住む水槽が違った。イメージが全然できなかった。
似た年齢で国語の時間にスイミー習って同じ地域の水で新米を食べてるのに、泳いでる水が違うし、慣れすぎて違和感を覚えないようなことを合わない人もいる当たり前のことに気付かされた。
実際私、アヴちゃんが苦手と話してた現象がしょっちゅう起きる仕事で生計立ててるし。私が生きてる水じゃ溺れちゃうかも。
アヴちゃんはアヴちゃんのマグマだまりがあって、生かせる水があるところにいてほしいな。
世界はたくさんあって私が考えつかないような水の世界でシュノーケルしたり、バタフライしてるかもしれんね。
合う水で新米食べて
元気にしてるといいな。